Milky’s STORY

ジャニヲタになるべくしてなった女のひとりごと

担降り報告の是非について私なりに考えてまとめてみた

タイトルの通りである。

担降り報告の是非について私なりに本気で、真面目に、もはや何がなんだか分からなくなるくらい考えてみた。


先日、6月6日に放送されたソラシゲブックのとある部長のひと言が、かなりの議論を巻き起こしたことをご存知だろうか。

そう、俗に言う担降り報告の是非についてである。

これについては今に始まった議論というわけでは全然なくて、タレントからそのような発信がなされる度にファンの間では大論争が巻き起こってきた。
とあるときは『担降りファンレター』、またあるときは『担降りうちわ』、そして今回は『担降りラジオメール』である。


個人的には、その媒体こそ変われど実態は変わらないという認識でいるため、これ以降は今回の『担降りラジオメール』に焦点を当てたものとして書いていこうと思う。


まず前提として、私は担降り報告に関しては中立だと言っておきたい。

これが八方美人的というか、極めてズルい立場からの目線であることは承知の上で、それでも私は中立以上でも以下でもないなという結論に達した。

以前から私のTwitterなりを見てくれている人ならば分かるかもしれないが、私は基本的に大切なのは気持ちだというスタンスで生きているタイプである。正当な気持ちがないものはダメだし、あるものには相応に向き合うべきなのではないかと。
そういう意味での以下のツイートだったのだけれど、やっぱりTwitter140文字や僅かな追記事項だけで真意をちゃんと伝えるのは難しいなと改めて実感……。

(このツイートにさらに補足すると、「私は(古い考えかもしれないけれど)直筆の手紙が1番ちゃんと気持ちの伝わるツールだと思っているから、それぐらい伝えたい重みや覚悟のあるものなら伝えたら良いと思う」という趣旨のツイートを他にも幾つかしていた)

 

さて、ここで具体例を挙げてみる。

個人的に「これは批判されても仕方ない」という例は以下のようなものだ。
これは簡単な話で、承認欲求というか、ジャニーズで分かりやすく言うなら「認知」に近いものを目当てとしているのであればそれは許容されるべきではないと思う。
人間の感情というのは本当に面倒で、それがアイドルとファンという特殊な条件下であればそれはきっともっと面倒で。
担降りはするけれども「担降りを報告してきた人がいたな」と記憶に留まっていたい、という承認欲求が元になっている場合は往々にしてあるんだろう。そういう場合の担降り報告は、それはもう問答無用で黙れクズ案件禰豆子と同じ竹筒でもつけてやろうか案件である。まあ、あんまりにもムカつくので竹筒どころか丸太を用意してしまうかもしれないけれど。

 

それからグループアイドルだけに限って言うのであれば、グループを脱退・卒業したタレント、事務所を辞めたタレントがいる場合。
言葉を選ばずに言ってしまうと、これが相当にめんどくさい。

マッッッジでめんどくさい!!!!!(以下略)

グループの形が変わったこと自体に付いていけずにファンを辞める人。
辞めたメンバーが好きだったために、その人がいなくなったグループのファンを辞め、個人活動を始めた脱退・卒業メンバーだけを追う人。
辞めたメンバーが好きだったが、グループにいるその人が好きだったからとグループからも脱退・卒業メンバーからも離れる人。
好きなメンバーはいなくなったけれど、グループ自体が好きだとグループの応援のみに集中する人。
好きなメンバーが脱退・卒業したけれど、その個人もグループも、変わらず並行して応援しようとする人。

十人十色どころか、一億三千万人一億三千万色である。(何それ)(約分したら同じでは)

 

ただでさえ担降りというのはアイドルとファンの関係が解消されるものであるというのに、その根本に、「好きだったグループの形が変わる」という事象があった場合は完全に各自思うところがバラバラになるわけで。

ひと言に『担降り報告』と言ったって、これだけバラけたファンたちが各方向から承認欲求だの当てつけだの嫌味だの懺悔だの感謝だのをぶつけるわけだから、その是非が簡単に纏まるはずもないのだと思う。

今回のシゲ部のことに限って言うのなら、メンバー脱退による上記のようなファンのバラけどころか、メンバー退所、退所までの一連の騒動、直後のライヴ開催(しかもシリーズツアーのファイナル)、コロナ禍……と最悪なまでにピリついた状態から『担降り報告』の議論までの流れだったと思う。

実際、リアルタイムでシゲ部を聴くことができなかった私は当時の議論初期段階、TwitterのTLのみで情報を追っていたのだが、地獄絵図という言葉がピッタリだった。

シンプルに怒りを爆発させる人。メンバーの気持ちを思って悲しみを吐露する人。辞めた彼のファンが送ると言っていた、とリークする人。ドラマ『ネメシス』の実況で荒れる私。

 

ここが地獄……?????

という最初の私の感想はさておき、少し脱線するが、そもそもこういう議論が巻き起こるというのはとても良いことだと思う。
少し前なら「芸能人が何かを言われたりされたりするのは有名税」のような考え方が一般的だったのに対して、今は「芸能人であれ誰であれ必要以上に傷付けてはならない」の考え方が浸透していて、今回の議論も「メンバーが傷付くから」というところから発展していった。
そういう、「まず人としてこうなのではないか」という議論はこれからもあっても良いんじゃないかなと思う。
(もちろん平和に推し活できることが1番ではあるけれど)

 

さて、話を戻したい。
では最初に言及した正当な気持ちとは何か。

まずはこれを見てほしい。

どう思っただろうか?
もちろん先述した通り、今、自分がどの立場で読んでいるかで印象はきっと全然違うのだと思う。
私個人的には、これを最初に読んだとき、「正当な気持ち」が感じられるすごく真摯で誠実な文面だと思った。サラリと『担降り報告』とひと括りにしたって、これだけの思いが込められているものを私は否定できないし、したくない。逆にどれだけ酷い退所劇を繰り広げた彼に対してだとしても、実際にTwitterで本人宛にリプされていた「ファン降ります\(^_^)/」(原文ママ)のようなものは、私はあまり気分のいいものではないな、と。

 

そして、以下はTwitterのDMでいただいた質問で、考えれば考えるほど分からなくなったのでここに書きながら自分の頭も整理することにする。

f:id:Milky9864:20210627182633j:plain

TwitterのDMにいただいた質問です※

これね……。難しいね……。
似たようなことを先述もしたけど、人の気持ちって面倒で、そう簡単に割り切れるものでもなくて、もちろん言葉で綺麗に説明がつけられるものでもなくて。
私はアイドル加藤シゲアキでも人間加藤成亮でもないから、アイドルとして、もしくは人として、加藤さんがどんな思いであの言葉を放送に乗せたのかは正直分からない。
ただ、そういうことも全部込みにしてこそ、私は下記ツイートをした。

Twitterからの引用ばかりで申し訳ないのだが、基本思ったことはとりあえずTwitterに書くタイプなので許していただきたい。

まず大前提として、間違いなくNEWSは優しい。
自軍贔屓だと言われてしまえばそれまでかもしれないが、ファンへの寄り添い方だってどのグループにも負けないと思っている。
だけど、それを今回のことで「優しい」と評価する流れに、TLを埋め尽くす「優しい」という言葉の波に、正直溺れかけたと言ったら批判されるだろうか。

 

ここからは完全に私が迷子になった「本当に優しいとは何か」という話である。
優しさだって結局は主観の問題で(そこを突き詰めれば主観ではないものなんてほとんどないのかもしれないが)もしも今回の担降り報告がただの当てつけや嫌味だとかネガティブな感情だけをぶつけたものなら、それに対しての怒りを公にはせずにただ「そういう意見もあるよね」と包み込んだ加藤さんは相対的に「優しい」ということになるんだろう。
だけどもし誠実な思いをぶつけたものに、「辛くなるなら、聞かなくていい」と某歌詞よろしく加藤さんが寄り添ったものだとしたなら?

それは「優しい」ではなく、誠実さに誠実さで応えたというだけの愛のあるやり取りなんじゃないだろうか。
それをやはり「優しい」と表現するのだと言うのであれば、これもやっぱり人によるもので私が断言できるような話ではない。だから、DMをくれた質問者様の推測だって、きっと正しくて正しくない。
人間誰だって嫌なものを目にしたくはないもので、あの言葉の奥底に「牽制」の思いがあったって不思議ではないし。かと言って見たくない聞きたくないからと全てをシャットアウトしてしまうほど、今のNEWSが弱いとは思わないし。

実際にそんな弱さが表面的にあるなら、そもそも担降り報告=自分たちから離れると宣言するメッセージなど直視する前になかったものにすると思う。長らくアイドルをしてきた彼らは、やろうと思えば、悲しいかなそれぐらいのスルースキル発動は容易なはずだから。

 

うーん……。なんかね……どうだろうね……。
これこそ私の主観でしかないのだが、6⇒4のときはかなり長らく増田さんが引きずっていたように思うし、今回のメンバー脱退については割と加藤さんが1番地雷になっていそうというか。
そういう意味でも「いろんな思いを受け入れたいけれど受け入れがたい」というかなり複雑な気持ちが滲んだものだったんじゃないのかなとは思っていて。

でもその複雑で簡単じゃない感情をファンに共有してくれる今のNEWSも、それについてこれだけ議論できるファンも最高で最強なのは間違いないんだから。

 

ごちゃごちゃといろいろ書きながら頭を整理したけれど、やっぱり「人に伝えるものには、あるべき重みや覚悟をちゃんと乗せるべき」だという思いは変わらない。

そういう重みや覚悟があるにせよないにせよ、担降り報告というものはどうしてもタレントの記憶には残るんだろう。
だからこそ悔しい。
なんの重みも覚悟もないそれが記憶に残って、結果的には「認知」にも似た承認欲求を満たしてしまっているかもしれないから。現状、そういう自己満足や自意識だけを纏った担降り報告が多い以上は、やっぱり担降り報告そのものがまとめて批判されたって仕方ない。

ただ、その中に込められている「正当な気持ち」や「重み」や「覚悟」や、そういうものまで一括で否定してほしくないというのが、私なりの、担降り報告についての思いだ。

複雑で、面倒で、割り切れない、中立な私の思いだ。